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>> 銅像になった人物 バックナンバー
高杉・松陰・久坂
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松下村塾主宰者とその門下生

(左)高杉晋作
 天保10年~慶応3年(1839~1867)
萩城下の菊屋横町に武士の子として生まれた。19歳の時に、友人の久坂玄瑞のすすめで松下村塾に入塾し、久坂と並んで村塾の双璧と称された。長野の佐久間象山を訪ね学んだ。身分に関係なく組織された奇兵隊を結成し、四境戦争などで連戦連勝して長州藩の勝利におおいに貢献した。幕末に大変活躍したが、明治維新を見る直前に下関で病死。

(中)吉田松陰
 天保元年~安政6年(1830~1859)
江戸時代の終り頃、萩の松下村塾で幕末の志士や明治維新に活躍する多くの人材を育てた。萩藩士の二男として、萩の松本村に生まれ、幼くして吉田家の養子となり、山鹿流兵学師範の職を継いだ。また生涯にわたって日本中を旅した。世界に眼を向けた松陰はアメリカ軍艦で海外渡航しようと計画したが失敗。その後、安政の大獄によって処刑された。

(右)久坂玄瑞
 天保11年~元治元年(1840~1864)
萩城下の平安古で生まれた。松陰と出会ったのは17歳の頃で、松陰から「防長年少第一流の才気ある男」と評された。松陰の妹の文と結婚して松陰の実家・杉家に同居し、松下村塾での松陰の教育事業を助けた。吉田松陰が亡くなった後の村塾ではつねに中心的人物だったが、京都での蛤御門(禁門)の変の戦いで負傷し、25歳の若さで亡くなる。


萩市 松陰記念館前
山県・木戸・伊藤
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松下村塾門下生

(左)山県有朋
 天保9年~大正11年(1838~1922)
下級武士の子として生まれ、21歳の時に入塾。奇兵隊血盟に加わり、その中心的な役割を担った。高杉晋作の挙兵、四境戦争、戊辰戦争などで奇兵隊をひきいて活躍し、明治維新後は軍隊の近代化、確立につとめ、内閣総理大臣や枢密院議長などを歴任した。

(中)木戸孝允(桂小五郎)
 天保4年~明治10年(1833~1877)
藩の医者の子として生まれた。幼名を小五郎といい8歳で桂家の養子となる。吉田松陰とは藩校明倫館で知り合い、のちも交流をつづけ、江戸での松陰門下生たちの世話をした。幕末には薩長同盟を結び、西郷隆盛、大久保利通とともに明治維新の三傑と呼ばれる。

(右)伊藤博文
 天保12年~明治42年(1841~1909)
熊毛郡束荷村(現・光市)に農民の子として生まれた。17歳の時に、来原良蔵に認められ、その紹介で松下村塾に入塾。松陰は伊藤を「周旋屋(世話好き)」と評している。維新後は国会の開設、憲法制定など「明治日本」の確立に中心的役割を果たした。日本最初の内閣総理大臣。


萩市 松陰記念館前
品川弥二郎と山田顕義
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松下村塾門下生

(左)品川弥二郎
 天保14年~明治33年(1843~1900)
足軽の子として生まれ、松下村塾には15歳の時入塾。松陰が亡くなった後も塾の勉強会メンバーで、のち攘夷血盟に加わり、英国公使館焼討ちや蛤御門の変などに参加した。明治維新後は政府高官となってヨーロッパ諸国に滞在。外交方面で活躍し、内務大臣などを務めた。

(右)山田顕義
 天保15年~明治25年(1844~1892)
武士の長男として生まれ、14歳の時に松下村塾に入塾。村塾の一燈銭申合や攘夷血盟のメンバーで、当時外国と日本が結んだ不平等な条約に強く反対し、尊王攘夷に参加した。明治維新後は司法大臣を務め、また日本大学、国学院大学を創設し、教育者松陰の遺志を実現した。

※一燈銭申合(いっとうせんもうしあわせ)...いざというときに江戸や京都に進出するための資金をつくる目的で作られた会。久坂玄瑞や山県有朋など10数人が参加。松陰が書き残した「講孟余話(こうもうよわ)」の写本をつくって売り、お金を積み立てようというもの。この会の発足は、松下村塾生の団結心を固めるきっかけになった。


萩市 松陰記念館前
天野清三郎と野村靖
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松下村塾門下生

(左)天野清三郎
 天保14年~昭和14年(1843~1939)
武士の家に生まれ、16歳で松下村塾に入る。塾に寝泊りして学び、松陰はその学識を高く評価していた。のちに長州藩の海軍所に入り、馬関戦争や奇兵隊創設にも参加。明治維新後は長崎造船所の創設に貢献し、また松陰門下生の中で最も長命で、97歳まで生きた。

(右)野村靖(和作)
 天保13年~明治42年(1842~1909)
足軽の子として生まれる。16歳の時に兄の入江九一とともに松下村塾に入塾。松陰が最も信頼する門下生の一人だった。松陰没後は、京都や江戸で村塾グループの尊皇攘夷運動に参加し、四境戦争や戊辰戦争で各地を転戦した。維新後は政府高官となり、内務大臣を務めた。


萩市 松陰記念館前
毛利元就と三子息
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戦国最高の知将と評される戦国大名

明応6年3月14日(1497年4月16日)~元亀2年6月14日(1571年7月6日)。数ある戦国大名の中でも有数の実力者であり、政治的才能と知見に恵まれた武将にして策謀家であった。三人の息子(隆元・元春・隆景)に語ったとされる「三本の矢」の逸話が残されている。


萩市
田中義一
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陸軍軍人、政治家。第26代内閣総理大臣。

1864年、 現在の萩市に生まれる。男爵に叙され、陸軍大将に進級するなど、軍人として極めて有能であった。政界へ転身の後は、内務大臣、外務大臣、そして総理大臣を歴任。63歳で、山口県出身としては5人目の総理大臣となる。


萩市 素水園
厚東常吉
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松陰神社の復興発展に尽力した政治家

1884-1968。萩市出身の衆議院議員。「雷鳴」とあだ名された。


萩市 松陰神社
源義経
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平安時代末期の武将

鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟。平治元年(1159年)~文治5年閏4月30日(1189年6月15日)。優れた軍才を持ちながら非業の死をとげた。 享年31歳。源平合戦の最後の舞台となった壇ノ浦に面するみもすそ川公園に、八艘跳びの姿で、平知盛像と対峙して立つ。


下関市 みもすそ川公園
平知盛
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平安時代末期の平家一門の武将

仁平2年(1152年)~寿永4年3月24日(1185年4月25日)。武将としての才能、人間的魅力のあった人物とされる。壇ノ浦の合戦で平氏滅亡の様を見届け、海へ身を投げ自害。自害にあたり、入水後浮かび上がって晒し物になるなどの辱めを受けるのを避けるため、碇を担いだと伝えられる。享年34歳。


下関市 みもすそ川公園
高杉晋作
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幕末に尊王攘夷の志士として活躍

天保10年8月20日(1839年9月27日)- 慶應3年4月14日(1867年5月17日)。長州藩藩士。現在の萩市に生まれ、松下村塾で学ぶ。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。萩市には今も生家が残る。


下関市 日和山公園 陶像(上)
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下関市 功山寺 挙兵像(中左)                下関市 東行庵(中右)


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萩市 晋作広場(下)
狩野芳崖
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明治期の日本画家で近代日本画の父

文政11年1月13日(1828年2月27日) ~明治21年(1888年)11月5日)。下関市長府生まれ。長府藩御用絵師の家に生まれ、幼少時から画道に励んだ。不朽の名作「悲母観音の図」を絶筆としてこの世を去った。享年61歳。


下関市 覚苑寺
佐々木小次郎
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安土桃山時代から江戸時代初期の剣豪

小次郎の出自に関しては不明な点が多い。山口県阿武町大字福田には小次郎のものと伝承される墓がある。秘剣「燕返し」を得意とした。慶長17(1612)年4月13日、下関市巌流島にて宮本武蔵と決闘のうえ敗死。決闘時には武蔵より年長であったとされている。島名の由来は敗れた佐々木小次郎の流儀「巌流」からきている。
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下関市 巌流島
宮本武蔵
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江戸時代初期の剣豪

二刀を用いることで有名な二天一流兵法の祖。水墨画家・工芸家としても知られる。著書「五輪書」によると、生年は天正12年(1584年)、現在の兵庫県生まれとされている。60数回の勝負に1度も負けたことが無かったという。1645年6月13日没。慶長17(1612)年4月13日に下関市巌流島にて佐々木小次郎と決闘。


下関市 巌流島
種田山頭火
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旅と酒を愛した昭和の芭蕉

明治15年、防府市生まれ。自由律俳人。早稲田大学を途中退学し帰郷。その後30歳頃から俳句を作り始める。「山頭火」の俳号で初めて創作した雑誌名は「郷土」であった。生涯を通じて、漂白し、数々の俳句を生んだ。自由で簡明な作風は、アメリカの文学者をして「東西を超越した巡礼詩人」と言わしめたほど。場所と時間を飛び越え、いまなお多くの人に愛される。句碑は全国500基以上。
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写真提供:山頭火ふるさと会
防府駅てんじん口
重源上人
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61才から25年間、幾多の苦難を越え東大寺再興

保安2年(1121)生まれ。中世初期の日本に生きた人物。平安時代末期から鎌倉時代にかけて 活動した僧。房号は俊乗房(しゅんじょうぼう、俊乗坊とも記す)。61才に入ってから25年間 、東大寺大勧進職として、源平の争乱で焼失した東大寺の復興に全力を尽くし、再興。建永元年 、痢病にかかり、6月5日死去。享年86才。
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山口市徳地(左)                 重源の郷(右)
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種田山頭火
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